自分語り
@tos なんか別件で、私とうの昔に朽ちた腐肉しか食べられないんだなあと実感しております エロやかわいいがだめなのも、事象をすぐ駄洒落にするのも、MTGでクソカードのクソコンボに固執するのも、すべて死に引きずりおろそうという所作でした もうだめです
無関係
@okekyo 或いは桶教の強みは「入信する必要がない」というところかもなので、よりいっそう、帰属ということよりも効能を謳っていかなくては、各人内での桶教の存在感とか意義が茫洋としてしまうかもしれません。
そういう方向だと、私の信条であった「宗教は膨張するからこじれるんで、マンゲームをやめて無人化し、教義を公開して各人が各項目を取捨選択して取り入れられるようにすべき」というのと合致するので応援していきたいです
無
@okekyo 桶教をやるという積極的な言葉に微笑みました。具体的な実体・行為が何を指すのか不明だけど音楽をやるみたいな明るさがあってよさ。
宗教って比較的「現状で困苦を極めてサイクルが成り立たないために、やむなく補助として追加するライフサイクル」的な印象があったので、わりと新鮮でした。杖とか煙草みたいな。
でも転ばぬ先の杖というし、困る前から宗教に触れ精神や哲学をコントロールするのが本来は正しいのでしょうか…
概念が先にある(親がやってるなどのケース)のと、自分で調べたり勧誘を受けたりして選択的に選ぶのとでは、主観的にかなり実感が違いそうな気もしますね。
選択的に選ぶ場合は、自分のコントロールとかフレーバーとかを身につけるということなので、その宗教がどの程度までチューリング完全かみたいなのが見えないと、入るのはちょっと勇気が要りますね。宗教、かなり「入ると不可逆」みたいな怖いイメージありますし。その点桶教は「信じなくても救う」というおおらかさがまず笑顔にさせるので強さがありますが。日常のどういう細かい点に桶教が道具としてどう作用するか、という便利さ?を語っていくとよいのでしょうか?